吾輩は猫である

通勤のお供に
吾輩は猫である (岩波文庫)
を読んでるんだが、興味深い一節があったので書き留めておく

「・・・(略)・・・そう云う点になると西洋人より昔の日本人のほうが余程えらいと思う。西洋人のやり方は積極的積極的と云って近頃大分流行るが、あれは大なる欠点を持っているよ。第一積極的と云ったって際限がない話だ。いつまで積極的にやり通したって、満足という境とか完全という境にいけるものじゃない。向かいに檜があるだろう。あれが目障りになるから取り払う。とその向こうの下宿屋が邪魔になる。下宿屋を退去させるとその次の家が癪に障る。どこまでいっても際限のない話さ。西洋人のやり口はみんなこれさ。・・・(略)・・・西洋の文明は積極的、進取的かもしれないがつまり不満足で一生をくらす人の作った文明さ。日本の文明は自分以外の状態を変化させて満足を求めるのじゃない。西洋と大に違うところは、根本的に周囲の境遇は動かすべからざるものと云う一大仮定の下に発達しているのだ。親子の関係が面白くないと云って欧州人のようにこの関係を改良して落ち付きをとろうとするのではない。親子の関係は在来のままで到底動かすことができんものとして、その関係の下に安心を求むる手段を講ずるにある。・・・(略)・・・只できるものは自分の心だけだからね。心さえ自由にする修行をしたら、落雲館の生徒がいくら騒いでも平気なものではないか、・・・(略)・・・」